「行間を読む」とは、例えばどう使う?意味は?英語でも同じ使い方なのはなぜ?

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行間を読む(ぎょうかんをよむ)の意味は、

文章のなかで、言葉では明確に表現されていない真意や心情をくみ取ること

この「行間を読む」は、英語でも 同じ意味で同じ使い方 をしているそう。

言葉や文化が違うのに、意味が同じなのは、ちょっと不思議だなって思いませんか?
なんだか気になってしまいました。

  • もしかしたら、どちらかからどちらへ伝わったのか?
  • まったく別のところからそれぞれに伝わった?
  • それとも、ただの偶然?

どうして同じ意味で使われているのか気になって、調べてみました。

この記事でわかること
  • 「行間を読む」の具体例
  • 日本語以外でも、同じ意味で使われる理由
目次

「行間を読む」の意味と、例えばの使い方

行間を読む」とは、

文章に書かれている文字の意味だけでなく、
その言葉の裏にある伝えたいメッセージや感情を感じ取る、読み取ること

です。
書かれた文章だけではなく、会話や話している内容でも使えます。


例えば その1

友達からの手紙に「元気です」と書いてあった。
でも、その言葉の選び方や文脈から、

本当は少し寂しいかもしれない
なにかあったのかもしれない

と感じ取ること。


例えば その2(会話の例)

久しぶりに会った友人との会話で。

Aさん

最近仕事が忙しくて、なかなか趣味の時間が取れないんだよね

Bさん

そっか…。
あ、そういえばこの前見かけたカフェ、Aさんが好きそうな雰囲気だったよ!

Bさんは、ただカフェの話をしているように見えるけど、
実はAさんに「無理しすぎないで、たまには息抜きもしてね」
という気持ちをこめています。

ここで、AさんがBさんの言葉の裏にある意図をくみとって、Bさんの優しさを感じることができたとしたら、「行間を読んだ」ということになります。

こんな感じで、言葉だけでなく、その背後にある意味を理解する力が「行間を読む」です。

英語の「read between the lines」も同じ意味がある

「行間を読む」を英語に訳すと、read between the linesとなるそう。

意味を調べてみると、日本語と同じで、

文章や言葉の裏に隠れた意味や本音を読み取ること

となります。

言葉や分野が違うのに、どうして同じ意味があるのだろう?

日本では「言わなくてもわかってよ」という場面がありますよね。
状況や直接的な言葉以外でも、読み取る力が求められることが多いです。

でも西洋では、言葉ではっきり伝えて、誤解を避けることが大切だと言われていますよね?

ちょっと極端な例をあげると、こんな感じで。

例:映画に誘いたい場合

日本:最近映画館に行ってないなぁ
アメリカ:映画を見に行こうよ!

察するとか、空気を読むとか、そういう感じ。

文化や言葉が違うのに、どうして同じ意味で使われているの?

文化や言葉が違っていたら、

英語にはあるけど、日本語には訳しづらい言葉

などがあります。
その逆に、日本語にはあるけど英語に訳しづらい言葉も。

例えば、

英語「society」にあたる日本語がなかったため、明治頃に日本語の「社会」という言葉が作られた

とか

日本語の「お疲れ様」に、ぴったりくる言葉が外国にはない

とか。

でも「行間を読む」は、どうして日本語以外でも同じ意味で使われているんだろう?

理由は、人と人との話し方に共通の特徴があるから

調べてみてわかりました。
文化が違うのに同じ意味合いで使われるのは、

人間は社会的な生き物であり、相手の意図や感情を理解しようとするという共通の特徴がある

という理由からでした。

言葉ではっきり伝える文化があっても、表情や仕草での表現がないわけではありません

「行間を読む」という言葉が世界中で似た意味で使われるのは、そんな風に人同士が理解し合おうとする共通の特徴のせいなんですね。

なのでこの表現は、特定の言語から広まったわけではなく、それぞれの言語や文化の中で自然に生まれたとのこと。
人と話すときにはどの国でも同じように、言葉だけでなく、その背後にある気持ちや意図を感じ取ることが大切。
そういう理由で、世界中の言語で「行間を読む」という似た表現が使われるんですね。

英語以外の言語でも同じ意味のものがある

先に説明した通り、言葉や表現には文化や国によって異なる面がありますが、「行間を読む」という概念は言語や文化を超えて共通しているようです。

他の言語でも同様の表現が存在します。

フランス語では  ”lire entre les lignes”
ドイツ語では  ”zwischen den Zeilen lesen”
スペイン語では  ”leer entre líneas”

など。

言葉は違っても、同じように「行間を読む」ことが大切にされています。

コミュニケーションを円滑にし、相手の本当の意図を理解する手助けとなるのは、やはりどこでも同じなんですね。

ただし、ビジネスに関することでは別の場合が多いようです。
使いどころを間違えると、誤解が大きくなりそうなので、気をつけなければいけないですね。

「行間を読む」と「察する」は同じこと?

「行間を読む」記事の挿絵

「行間を読む」と「察する」の意味は、似ているように思います。

調べてみたら、微妙に違っている部分がありました。

「行間を読む」とは、文字通りには書かれていない内容や、話者が伝えたい隠された意味を理解すること。
特に、文章を読む際に用いられる表現で、言葉の背後にある感情や意図を読み取ることを指します。

一方で、「察する」とは、他人の気持ちや状況を敏感に感じ取り、言葉にしなくても理解することを言います。

文章に対して使われるかどうか以外にも、「察する」は人の感情や状況、言動に対して使われるという違いがあります。

例:

  • パートナーにに「今日はゆっくり過ごしたい」と言われた時に、
    • 行間を読む:本当は一緒に過ごしたいと思っているかもしれない。
    • 察する:疲れているのかもしれない、何か悩みがあるのかもしれない。

こんな感じで、「行間を読む」と「察する」の使用例を並べてみると、なるほど違うかな?とは思います。
でも、どちらも相手の真意を理解しようとするという部分では同じなんですね。

あとがき 行間を読んで、空気を読まない

このブログの名前は「言葉の隙間の”どうして?”手帖」
この名前の中の「言葉の隙間」は、行間を読むとか、そういう意味も込めてつけました。

直接言葉で書かれていなくても、文脈や雰囲気で言葉の裏を読み取る「行間を読む」。

日本人っぽいなーと思っていたのですが、調べてみると、世界共通のものでした。

考えてみると、言葉や文化が違っても、
相手を思いやったり、これはどういうことだ?という好奇心だったり、
ヒトとして底にあるのは同じですよね。

個人的には、「行間を読む」とか「察する」ということは苦手です^^;
苦手というか、察したあとに面倒が待っていることが多いというか・・・(笑)
行間を読んで何かに気づいても、空気を読まずスルーしたい!と思うことも。
(思うだけで、スルーできないこと多し)

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